歴史資料館

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くつのまま奥までどうぞ



建物は洋風だが、大方の人は和服を着ている。
江戸時代の大丸は、まずのれんをくぐって土間、それから畳の間(または板の間)という構えだった。いま思うと小心者には、ひやかすにも勇気がいりそうだ。
これを踏襲したのか、明治になってそごう、大丸が呉服店から百貨店に転身した後も長らく、じゅうたんを敷きつめた店内には履物をぬいで入るよう、出入り口には下足番がつめていた。

大正5年5月15日に、大丸は下足番をなくし、履物のまま入店できるようにした。これが全国初ではなかったことは確かだが、画期的な試みであったことは間違いない。土足厳禁がどれほど人々に近寄りがたい印象を与えていたかは、土足入店可になってから、店入り3倍、売り上げ2倍増(「大丸二百五拾年史」)という数字になってあらわれている。