歴史資料館

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アートも支えた心斎橋筋


心斎橋風景(絵はがき/部分)書画展と書かれた看板が見える。

心斎橋筋は、意外と大阪の近代美術の発展に一役買ってきた。もともと美術というのは、パトロンなど経済的な援助の下に発展する傾向があるが、大阪では数奇者のような芸術にも興味を持つ旦那などが、個人的に誰かを援助したようなこともあったようだ。

心斎橋筋2丁目にあった高島屋呉服店では、美術部が明治44年に創設された。大丸、そごうの各百貨店美術部による書画展などが数多く行われたし、それを買い求める客の雰囲気もあった。

また、大正から昭和初期にかけて前衛美術やモダニズムが流行し、宣伝広告や店舗設計などに新しい傾向の美術やデザインが積極的に取り入れられた。

商業美術が発展することでデザイナー達に活躍の場が与えられたのである。その中でも際立っていたのは丹平ハウスで、健脳丸、今治水で知られた丹平製薬では、新しい商業ビルを心斎橋筋2丁目に建て、医薬品以外にも化粧品や写真機材などの売り場を設けると同時に、ソーダファウンテン(アメリカ式のソーダ水売り場)、写真スタジオ、美容室を開いた。

また、丹平ハウス内には赤松麟作の洋画研究所や、安井仲治らを指導者とする丹平写真倶楽部も開設。ここからは多数の逸材が育っていった。