歴史資料館

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浜蔵と大坂の川

心斎橋より見た長堀の浜蔵
心斎橋より見た長堀の浜蔵(明治時代)
川べりに足駄作りの蔵が見える
大坂の浜蔵(河岸土蔵)のたたずまいは、江戸の蔵のそれとは少し様子が異なっていた。江戸の蔵は、川面に対して屋根の妻を並べる形でほぼ整然と立っていたのに対し(図○部)、浜蔵の場合、川面に平行に妻を並べることが多かった(図部)。川に向けて建てられなかったのは、大坂の諸川が市街地よりもかなり低いところを流れていたことから、その傾斜地を有効利用しようとしたためと思われる。
その構造は、石柱を建て、石土台を居き、その上に土蔵を作った足駄作り(あしだつくり)ともよばれるもので、川が増水したときの水はけ対策にもなっていたようだ。
江戸川岸土蔵図
江戸川岸土蔵図
大坂浜蔵の図
大坂浜蔵の図(「守貞謾稿」より)