歴史資料館

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江戸時代の環境保護

長堀川での七夕笹流し
長堀川での七夕笹流し

長堀川での生活風景
染物?洗濯?
長堀川での生活風景(「摂津名所図会」より)
中国では、商売上手のことを“水でもうける”と言うそうだが、井戸水がいまいち飲料水に向かなかった大坂では、水は買って飲むものだったらしい。
「浪花雑誌 街廼噂(ちまたのうわさ)」には、「モシ大坂も善處(よいところ)だが、水にハ少し困りヤス。皆な買水でム(ござ)りヤス。[萬松]へゝ引堀井戸ハム(ござ)りヤせんかね。[鶴人]有ことハありやすが、泥がさして飲水にハ悪うム(ござ)りヤスから。皆な川水を買て飲ヤス。」との会話がある。
ただ、大坂の川は流通の足でもあり、また生活用水として人々の暮らしに密着していただけに、それを飲むに耐えるレベルに保つには、行政の努力も必要だった。
例えば、夏の風物だった七夕の笹流しも、寛政四年(1792)六月二十九日の口達書で、七夕短冊竹等を川へ捨てることが禁じられる等、江戸時代より、川筋に関する取締りがたびたび発布された。

しばらく大坂に滞在していた江戸の戯作者、平亭銀鶏が遊人三人の対話形式で記述した大阪見聞記。天保六年(1835)刊。