歴史資料館

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鴨川には負けますけれど…

甘酒は現在、冬の飲み物だが、「守貞謾稿」によれば、幕末期の京坂では夏に甘酒が飲まれていた。(夏月専ら売り巡るものは、あまざけ売りなり。京坂は専ら夏夜のみこれを売る。)甘酒屋が出ている橋の下に、船いけすが繋がれている姿は、しばしば見られる光景だった。心斎橋の上は風通しが良いので、夕涼みの人をあてこんでか、橋の上に腰かけを出し、たもとに釜をすえて甘酒を供する商人の絵も残されている。

「摂津名所図会大成」暁鐘成著 幕末

大坂の船いけす
船いけすは、二双の船をつなぎ、中で川魚料理を出す船料理屋。大坂の名物であった。船中をそれぞれの客の数にあわせて二畳、三畳くらいずつ幾つとなく仕切って客をむかえ、大なるものは四方へ幕を張った。料理は船中で調味した。炎下に納涼をとり、夕暮れに汗をぬぐうにはこの船にまさるものはなかったという。
船いけすが、京の鴨川の川床に対するものだとすれば、船遊びは今で言うナイトクルーズのようなものだった。要するに、川辺の少ない大坂の川で水の上まで使わないと暑くてかなわなかったのだ。 現在のナイトクルーズは夜景も楽しみのうちだが、江戸時代では夜景イコール暗闇。闇夜にまぎれて酒盛りを楽しむも良し、商談をまとめるのも良しと、人目を気にしない時間を持つために船遊びが活用された。
コースとしては、出発点にかかわらず大川(旧淀川)まで出てうろうろするのが定石で、それをあてこんで大川には料理を売る船や、三味線をきかせる船などが客を求めて流していた。